キラキラ

目をあてたくないほども一部。クローゼットの最果てから更新中。

不感症じゃ生きられない。

車が来そうだけど来ないから横断歩道じゃないけど、横断しちゃって車が向かってきてるのみるといつもひやひやする。そんなに近くにきてなくても。本来横断だめだよなって子どもの頃に培った教えが生きてるからかしら。と、まあ言い訳すると急いでると横断歩道じゃないけどまで待てないときがある。車道と共にどこまでも横断歩道も続いてて常にシマウマのような風景が当たり前になるといいなと思っている。ひやひやして今日も大丈夫だった…と思う度になんとか今日も生きてるなという感覚が脳内をめぐってることに気づいた。生きてるって実感を持ち続けて感じられたまんまで生きられるように身体のスピード感加速気味だと思ってたけどどうやら不感症かもしれない。横断しないとそう思えない性癖ならそれでもいいのだけど、そうじゃなくて感覚を意図的に持ってるわけでなくて、このくらいなら手元を見なくてもできるぜ感覚なのかな。手癖か?我ながらドン引き。新しいことばかり追求してて食いつくした先で私も何かつくりたいって思って生きてきたはずなのになんかかなしい。生きるのって何も伴わず痛くなきゃ生きてるって思えないと思っていて、リストカットして痛いこととか血がでてるの見ると生命を近くに感じられる気持ちってすごく生に固執してぎりぎりの所の理性でかたちを保とうとしてるかんじがしてすごくわかるわけじゃないけどなるほどなーと思う。なるほど、これ以外の言葉のボキャブラリーはでてこなかった。物理的に血を流さなくてもいいけど、痛いところのすれすれを狙っていかないと生きてるって実感を手にいれることはできない。なくても確かに実体があって生きてるはずなんだけど。伴わないとわからないんだよね。わからないと港に繋がれてたはずなのに流されてたみたいな絶望感で満ちる。何いってんだ。