キラキラ

目をあてたくないほども一部。クローゼットの最果てから更新中。

ばかばっか

滑稽さすら全部を書きたい。理解しているよ。客観的になるとか一般的とか言えば思えば思うほどに無様なんだよねー。わたしがわたしの情けないところ晒しても晒してもたぶんそれに意味を求めたって仕方がない。見れば見るほど烏滸がましいのだから。

きれいになんて書けないかな。きれいなものなんて私の中に探しても見つけることは不可能だ。余裕で。わたしだって嫌だよ。こんなわたし。被害者面してるよ。わかってるよ、絶対的に他人より自己分析得意だし、主観的であるようにも客観的であるようにも見せられるそういう能力があるよ。でもさ、わたしはわたしの汚くみえるところを書きたいんだ。きれいに見えるやつなんてわたしは好きじゃない。たぶんその一点がどうしても譲れないんだろうな。

傷ついた上での快楽とか愛じゃない

血が出ればいいとおもう。もっともっと赤くなれ。もっともっと誰が見ても一目でわかるくらいのキャッチーさで傷つきたい。そうすればみんな同情したり憐れんだりかわいそがってくれるんだろうな。たぶん本質的には5年前と変わってなくてあの頃は近くに母親がいて、学校も部活も上手くいかなくてだれも悪くなくてでも辛くてその辛さを誰かに理解されたくて共感されたくて母親に暴力ふるってた。腕を引っ掻く自傷をしていた。あの頃と変わらず今は好きな人に振り向かれなくて振り向いてほしくて風俗やってる。徹底的に相手を傷つけるか自分が傷つくかすることによってしか自分の現状を視覚的に伝えられないなんて狂ってるんだろうな。わかりやすいでしょ。血がでるとか、誰とでもエッチして社会的に他人からの嫌悪を得るとか、自分以外から嫌われることが一番手っ取り早く孤立できる方法だし、その方法で心配されることで愛を抽出しようとしていた。わたしはわたしがこの世界に必要されていると思いたかった。現在進行形で。理由なんてなくても傷なんてなくてもはき違えてなんてない好意で満たされたかった。誰でもいいからわたしを必要としてほしい。喧嘩したあとのセックスなんて愛なんかじゃない。気持ちいいのはカタルシス

本懐

自由になりたいー!って中学生くらいまで本気で思いながら家で引きこもり生活してたのがほんと懐かしいなんて思ったことないんだ。なんかあのときのは自分を心底惨めに思ったし、情けなく思えて仕方なかった。どんなに考え改めて、そんなことないよって自分を肯定してもらったり、いやな気持ち否定してみるけどやっぱあそこの記憶はあそこだけのものなんだなー。今のわたしのものなんかじゃない。一生手に入らない。ほしいものって大抵望んでも手に入らないから望んじゃうよね。サンタクロースに頼んでたクリスマスプレゼント届いたことほぼないし。1,2回くらいあった、、!!?かな?今は成人したし、あの頃より大人になったはずだから自由になりたいって願いをささやかながら叶えようと思っていきてるけどやっぱ無理だね。なんか漠然としてるし、自由になろうとすればするほど自由について考えるし足掻くから不自由さが露呈する。自分にだってわかっちゃうくらいにね。不自由になるのはもっともっとっておもうからなんだろうな。自由なときはそんなことたぶん考えないね。自由であればこそ際立つ不自由さが電気の切れた部屋みたいな黒さを保っている。そもそも歩こうにも散々部屋散らかしてたのが運のつきだあああああ。絶対足の裏流血する。あはーん。

絶望的今日を乗り越えるなんて無理そうだな

渇いていくのは、干からびていくのは、四季のせいだけではないんだろうね。きみからの連絡が途絶えて、人からの好意は相変わらず素直に受け取れなくて、人がいればいるほど社会から孤立していけるような気がしていた。部屋の中のほうがちゃんと孤独やれてた。皮膚が白くなる。細胞がひとつひとつ可視化していく、ただしい手順を踏んで水を飲まなきゃわたしのものにはならないの。しってた?
死にたいなんてまだかわいくて、消えたい死体なんて物質なんて残さずに、跡形もなく。わたしがわたしであった頃の記憶なんてこの世界のどこにもおいていきたくないので、わたしのこと知ってる人間を全員ころしたい。ブルーなのが生理周期のせいとか、今日さむいとか、一睡もしてないとか、なんか昨日の夜食べたうどんが残っていて胃もたれとか、バスがこないとか、そんくらいのことがちゃんとわたしを痛め付けるので今日も正直にブルーかましている。生きていたくないって言葉が全然言い過ぎてなくて強がるくらいの元気もないから、全然悪くない他人の正義を一方的に悪認定してなぐりかかっちゃいそう。そんなことしたくなんてないのに。この世界のぜんぶが悪だ。守りたいものすら守る気力がないとかほんとよわすぎて。。あなたが好きだった特撮ヒーローとか助けに来てくれたりしないだろうか。

うつ

嘆いてもなんにもならないことはわかっている。わかっていることなんてそれなりにあるけどわかりたくなんてないんだよ。ときめいたりしない服にお金を払う、今日もいる友達との会話、空が曇っている、生理周期ぐらいで、お天気くらいでちゃんと気が狂う、病んじゃうなんて正直すぎていやんなる。もっと鈍感になって好きでもない男の人にフェラをする、いちいち注意するのもだるいから本番する、なんか自分の全部を大事にするのすら面倒くさい。大事にしたって見返りなんてないからいっそのこと帰り道が見えないくらい深い森の奥の奥まで潜っていきたい。衝動的に打算的に二階から飛び降りる。そうしてちゃんと骨を折る、ちゃんと全身が今まで感じたことのない慢性的な痛みに食べられる。意識なんてなくなる。救急車のサイレン。サイレント。
もう二度と会わないから恥ずかしいことも、ハラスメントだってできるんだ。お前がきらい。きらいなことが今日もわたしの原動力。煙を吐き出す唇は赤く濡れてひかる。制圧したい。この世界はわたしのものだということを伝えるために土星の形の飾りがついた首輪をつける。ちゃんと世界の奴隷になる。そうしてご飯が美味しくなる。セックスだって気持ちいい。よく眠ることができる。クマができない、化粧がうまくできる。学校にいける。会社にいける、よるのばいとをやめる、きらいなひとをすきになるあいをしんじるようになるきかいしゃに(わやは。まなぼたほりよ!ろのろろろよほろろろろろろろほ、ほはろほほろへほほほ、、、、、!、
そういうことだ。

人並みの承認欲求も、他人からの評価や愛によって立つことができる現在地。いや立てないかも。ほんとはいつも言いたいこというけどちゃんと不安で潰れそうな日々をなんとか這いつくばって、ほふく前進してるだけかな。いや、動いてなんていないかも。ネガティブ意思なんてなくて今日のわたしの正常なんていつもぶれぶれ。天気も生理周期も、体調も髪型ですらわたしをわかってくれてない。だいきらい。強くなんかないっていってもわかってないやつはいっぱいいて、わたしがわたしがわたしがわたしがわたしが。責任転嫁もじょうず。なんでもいいけど、。無気力。、。。
誰かなんていなくてもと思いたい。誰かがいないと、肯定されないと生きてられないなんていやだ。必要とされないなんていや。わたしが思うわたしだけを信じて、それだけあれば大丈夫。わたしはいきてる。いやだいやだいやだいやだいやだいやいやいやいやいやい
きもいきもいきもいきもいきもい
打ち込むことすらダルいね。
心情を正確に表すことすらできないとかああわたしいきてるいみないね。しにたい。
いきてるよりしんだほうがずっっっっっっっっと楽なんだろうよ。
生きてたら楽しいことのがあるなんてだれも証明してくれないのに。わたしは証明するきはないです。それをするまえにたぶんしぬ。つかしにたい。
しにたいって言いたいだけでいえばすこししにたいって吐息になる気がしていて、いえば誰かは振り向く気がして、それを言えるくらいの余白があるうちにいう。余力なんてない。あるのはしろだけ。
しぬことのめりっとも弊害もしらないけどとにかくいまよりはいいかなっていう雑味の推測が果たしていつまで続けることができるのかな。たぶんそれをしているふらっとで低めのやる気が下回ったらなんだろうね。しの。

ぼくら概念信徒

なんか誰との比較になんて持ち上げられたり、加えられたりなんてしない絶対的な唯一として自分があればいいのにと最近はすごく強く思うよ。だから、わたしっていうのが概念とかカテゴリとかになればいいな。いや、なりたいなー。

わたしはわたしで、あなたはあなただよってことを言語化だけでは飽きたらず体現したい、したい。そういうのがちゃんと保証されてればいいのにね。まあ、法も常識もモラルも社会ですら見向きもせずにシカトかまして、ないものとして扱ってすらくれないから、なんなんだろ。生きにくいね。
女の子はメンヘラだからとか、男の子は強いからとかそういう価値基準で人間を裁くの楽で、理解しやすいのわかるんだけど、きみがちょっと楽になるだけで他人が傷つくのなんかやだね。きっとその人の歴史は統制されないから個性があるんだけど、それでも他者にも自分にも最大限の配慮ができないくらいしんどいときもあるけど、やさしくありたい。多様性って思想が掬えずすり抜けてしまった観念すら大切にされればいい。大切にして。ね。