キラキラ

目をあてたくないほども一部。クローゼットの最果てから更新中。

きみの存在論で世界は明ける

なんでも話し合えたらの延長線上に理解も共感もありはしない。でも、討論でしか声をあげることでしか自分の存在は強調することはできない。しないことはこの闘争では簡単に死を意味することになる。きっともっととかじゃ足りなくて、絶対に話さなければいけない。譲り合うことも協調性も集団の中で生活に安寧を約束するためにはひとつの手段ではあるのかもしれない。でも、誰かの意見がその人の正しさであることが世界の総意ではないことをきみも知っているはずだし、総意であっても誰かにとって正しいことは誰かの前では無価値に過ぎない、間違いであることもある。間違いが間違いとならず暴力すらも優しさだと言い張るのは傲慢がすぎる。いつだってそれは大きな声より優先度が低い。
死んだまま生きることだってできる。不器用さ故に器用に生きてるふりが上手になって、処世術を身につける。生きられない日が、世界に立ち向かうことができない日があってもいい。でも、この世界の秩序はきみのためなんかじゃない。この世界のたったひとりの、ただひとりの唯一無二のきみを守ってやくれないことが真理だから、わたしだけは、きみだけは忘れないでほしい。きみの気持ちは、思想は身体はきみだけのものだよ。きみが声をあげることでしか貫けない、穴を空けられない、立ち向かうことができない、ものだよ。そうだとおもっているし、そうだといいな。

わたし

いつかあの時間軸と環境軸がぶつかる地点にいた奴ら全員ぶっ殺してやろうっていう原動力だけが私を動かすエネルギーであるという事実。好意でなく恨みだったり憎しみだったり、殺意だったりでも私の日常を作り出すための燃料になる。それはもう私の人生なんかじゃないのかもしれない可能性をいつも孕むその感情にすら正直にいたい。だって他者性によってしか感情は生まれない。かなしいくらいになにもない0からはなにも生まれない。マイナス1ならいいけど。好意にも殺意にも自分をちゃんと振り回してもらう。私の自意識なんてあてになんない。それより早く、もっと、もっと早く早くないと速度が刹那が、光が暗闇が、何よりも先に先を目指す。誰も追い付くことなんてできないほど圧倒的に絶対的でなくては、燃料も感情も事象も肉も骨も思想も全てを燃やして創る表現を。表現し続けることがわたしが私を更新しても残らないと遺せないとないものみたいじゃないか。死体にすらならないとか虚しい。形になれよ。実体化したい。

ぼくにとって意味のあることが、大事件だってくらい大きな事象が君にとってなんてことない道端の石ころくらいの関心度合いしかない、そもそも何もないという隔たりにいつまで律儀に傷つき続ければいいのだろう。そんな誠実さなんて棄ててしまいたい。ぼくだけ覚えているなんて。でも、ぼくすら忘れて日常をただ生きていったらいつか本当にそんなことがなかったことにしちゃう気がして、それにしがみつくしか今日もこうして何も問題ないふりして生きることもできないのかな。なんでかな。

みんなの感度が平均化されて強さも弱さもおなじくなればいいのになーと思う。ならないことがおなじくことを同じように感じることができないことこそがぼくがぼくだという証明で証みたいなものなんだ。個性なんてアイデンティティなんかないって言った。そんなものに振り回されたいぼく。なんかぼくはぼくだといいたい。代わりなんてきかないぼくだけに触れてほしいし、みてほしい。きみに傷つけられたなんて、被害者思考もきみとの間だけに生じればいい意識だ。ほかになんてあげない。きみ以外に傷つけられたくなんてない。

嫌われたくない

あなたと私は対等なんかじゃない。なんて言ってもわかんないと思うことすら言いたいだけだ。もっと好かれたいという気持ちが正常で、嫌われたくないって気持ちが異常みたいだ。あなたがいないと私の気持ちが成り立たなくて、私の気持ちが不自由できみの一言一句、一挙一動に全部振り回されて当然なんていやだよ。きみがいないと燃料がない自動車、水のない花のようで私はなんにもできなくなる。気持ちに正常も異常もないのは知っているけど、自分が主体でなく、相手の気持ちありきの自分は、気持ち悪いという私の感性の話だ。私の気持ちは私だけのものだから振り回されたくなんかない。ほんとにそれだけのことだ、

共感性なんかなくても

私のいってることわかるやつなんていない。そう思ってるし、共感性なんて集団が生んだ同調圧力なんじゃないのって思う。でもさ、誰かにわかるよって言われると気持ちいいんだよ、お互いの考えとか感情が逆向いてたり、すれ違って平行線たどるときよりもずっと。めちゃくちゃに気持ちいい。みんな誰かにわかられたり、理解されたい。
そして自分以外の他者によって共感された、わかられたという経験が自己を肯定するために必要なことだと思う。自分のやることに自信ないのってそういう経験値積み上げてこなかったのではと。

かといって誰かのこと本当の意味でわかる、理解することなんてできない、一生わかり合えないからこそ私たちは一緒にいても、一人でいても、社会にいても孤独なんだろうね。わかってなくてもわかるよっていうのはよく似た感情や出来事に既視感あるよってだけなんだけど。同じ景色を見てても見てる私とあなたは違う人間だというだけでこんなに隔たりのある表現で私の目の前の景色を説明するために言葉を尽くしあう、あってもどうしようもわかりあえないという事象すらいとおしいのですきです。
勘違いですらいいので、思い込んで下さい。あなたに同調することはできないけど、でも、あなたの私が見えているものだけでなく、考えも気持ちも頑張ったことも頑張れなかったこともすきなものもきらいなものもちゃんと私には思いつけないし、尊いなとおもうんだよ。うまく言えないけどそれだけがほんとう。

前置きながお

言いたいだけでここ何日かとか何ヵ月かとかの時間のなかで自分が選んでやってきたことで気持ちが変わったのかもだし、そんなことなくてもともとそういう人間だったのかもなと思うのだけど、今やってる風俗は嫌いだけど、行為も嫌だけど、そういえば男の人が受け身でまぐろ担当してるときってけっこう楽しいんだよね。なんか私のされるがままのなってくれると仕事が楽だというのもめちゃめちゃにあるけど、男の人が女の人に覆い被さって腰ふってんのが私の中でのスタンダードでその立場が逆なavとか場面を見てこなかったので男の人が下であんあん喘いでるのは気持ちいいし、イッてる顔はとても好きです。支配欲とかなのかな。でも、私以外の女の子の前でそうなってたらとか興味が無さすぎて考えたことも想像したこともないのでよくわかんないけど(好きなひとなら別ですが)客は勝手にしろってかんじ。触られるよりかは触るほうがいいな。仕事だからかもだけど。仕事なのでどっちもやるけどsmとかよいのではないか。たぶんですが。

知ってる。知っている。君が僕がいなくなったくらいじゃ絶望なんてしてくれないことを、傷ついたり、泣いたり追いかけてきたりなんてことをしないことを。恋愛に憑依されている君はそれ以外を軽んじているから、優先度が著しく下がる他の関係性に見向きもしないことを。知っているからなんだというのだろう。知ったかぶりか、君を語りたいのか、わかったりふりか、傲っている。そういう君のことなんて僕にはなんにも見えないし、知らない。あの明るく光る幼い黒目がちの大きな瞳は、もう濡れて暗闇のなかで揺れていた。かちりと火花が散った。僕を切り取ったスマートフォンはよく知りもしない、我が物顔のあいつも視姦してんだろうな。もうお嫁にもいけないな。もう誰も信じられないな。被害者ぶった道端の石ころが呻いた気がした。どっちでもいいんだ。真実なんて。ないのと同じだから。必要なのは味付けと 色付けだ。面白ければ全てが許される。この世はエンターテイメントに成り上がれば、人殺しだって見世物だってサーカスだ。公開処刑、みんなであいつに火ぃつけようぜ。燃えてった僕の肉はあの日の花火みたいによく燃えただろうか?